<私が、心理カウンセラーになった経緯です。>
■自分で言うのもなんですが、人生、マジメにやってきたつもりです。
私、自分で言うのもなんですが、
人生、マジメにやってきたつもりです。
小中学校では生徒会の役員を務め、学業でも学年トップクラス。
受験こそ第一志望に受からなかったけれど、
それをバネに高校でさらに勉強して、
大学も関西では有名な私大に合格できました。
大学ではサークル活動に明け暮れ、全精力を音楽に注いでいました。
・・・まさに、充実していました。
■でも、いざ社会人になるときに、旗色が悪くなってきた。
ここまでの充実がありながら、
就職活動が驚くほどぜーんぜん上手くいかず、
一年間の就職浪人を強いられました。
ただ、このときもまだ何とかなると思っていました。
マジメにやっていれば、何とかなるってね。
そしてその願いは届いたのか、
とある企業への就職が決まって、
やっぱりマジメにやってりゃいけるんじゃん!
…と、楽観的に考えていました。
■あれ、仕事がうまくいかない…
2011年4月、いざ入社。
…あれ、上手くいかない。
マナー研修に始まり、電話応対、身体を使う仕事…
ホント、何もかも上手くいかなくなったんですよ。
マジメにやっているのにもかかわらず、です。
で、どうしていいか分からなくなったんですよ。
今までは「マジメ」であればやれていたのに、
なんでうまくいかないんだ?と、毎日のように悩んでいました。
そんな折に、外回りの仕事で「自社の商品を得意先に忘れる」という大きなミスをして、
かねてから相性の悪かった上司から「お前ってホントバカだな」という恫喝にも似た叱責を受けて、私のココロは完全に壊れました。
■2011年10月13日木曜日。
身体から「欲という欲」が完全消失したような感覚に恐怖を覚え、
かかったことのない精神科に直感で飛び込んだ結果、私は、抑うつ症だと診断されました。
私の中に出てきた思いは…
とりあえず、今の環境から離れられるという、ホッとした気持ちと、
「人生、マジメにやってきたのになぁ・・・」っていうやり切れない気持ちでした。
そんな入り混じった気持ちのまま、その晩会社に震え声で電話をかけて、
それこそ「圧」をかけるように、「抑うつって診断されたんですよー」と休職宣言をしたわけです。
■そして始まった療養生活。
私は、「好きなことしたら?」という家族の勧めもあり、
手始めに大好きなオリックス・バファローズの試合を見に行くことにしました。
正直、外出も超・億劫でしたが、
「家にずっとおるのもなぁ…」
というそこまで前向きでないモチベーションで、
京セラドームに向かったのです。
■2011年10月18日。
その試合は、勝つか引き分ければAクラスという、
生死を分けるような重要な試合でした。
で、スタメン発表を見ているとき、
なぜか、涙がこぼれてきたんですよ。
当時は分かりませんでしたが、今思い返すと、
「みんな本気で生きているのに、オレは何をやっているんだ!」
という情けなさやら悔しさやらが入り混じった、そんな涙だったんだと思います。
試合には惜しくも負けましたが、
ココロは、すがすがしかったんですよ。
この経験で、とりあえず「やりたいこと」なら出来る、
ということに気づくことが出来たんです。
■やりたいことを、やりまくった。
社会人になって以来封印状態だったバンド活動、東北への夜バス旅行など…
とにかく、やりたいことをやっていったんですよ。
すると、みるみるうちに抑うつが改善していったんですよ。
療養生活3か月目には、ほぼいつも通りの生活を取り戻しました。
ただ、私にはまだ向き合わなければならない課題がありました。
そうです。
…休んでいる会社、どうすんだ?ってことです。
■正直な話、休職を決めた時点で、辞める気満々だったんですよ。
…でも、言えなかった。
結局のところ、辞めた後どうすんのよ?
っていう自己都合以外のナニモノでもない事情で、
会社から求められる「どうすんねんという問い」に対する回答を、
「待ってくれ待ってくれ、病人なんだから」と、先送り先送りにしていました。
ココで気づいてしまったんですよ。
今やっていることって、マジメでもなんでもなくね?
ってことにね。
病人であることを盾にして、自己保身に走ってねぇか?ってね。
ええ、ショックでしたよ。
追い込まれたときに出た自分の行動は、
マジメとはかけ離れた、不誠実そのものだったわけですから。
■気づいたんだから、もうやるしかない。
ただ、気づいてしまったんだから、
私の中の選択肢は、「誠意を示すこと」一択になったんです。
もう、これ以上、自分の中のウソで、
周囲を振り回すのはもちろんのこと、
何より、自分自身を傷つける人生にケリをつけよう。
そう思って会社に「退職」を告げたのです。
コレが2012年の1月末のことです。
でも、アテなんて、何にもなかったです。
資格試験とか受けようかなとか、
ホント、なんとなくおぼろげに、しかビジョンがなかったんです。
■退職の決断が、転機を引き寄せた。
ただ、ここからが不思議なんですが、
そうやって退職って決断をすると、不思議なモノで、「転機」が訪れたのです。
愚痴日記ばかりでほとんど活用していなかった、
アメブロの足あと機能(当時)をたまたま確認したときに、
「起業」の文字が飛び込んできたのです。
正直、退職って決断をしていなかったら、
この二文字は目に入らなかったと思います。
こうして私は、とりあえずすぐにでも出来る行動を取ろう、と考えました。
成功哲学系のブログや、分厚い自己啓発の本も必死に読みまくって、
たまたま無料だった体験コンサルを受け、そのときに、ハッキリと思い出したんです。
そういえば就活始めたての、まっさらな感性のとき、
人の話を聴くのが好きだから、「相談業」の仕事につきたいって言っていたことを。
そして、なる方法を調べることもなく諦めたことを。
もしかして、私の人生のミッションってこれなんじゃないかと思い、
自分の経験を活かすために、まずは独学でうつについての勉強を始めたのです。
■それから一か月経った2012年2月28日。
担当医から「もう十分元気やから来なくていいよ」と言っていただけました。
コレが、私が抑うつ症を克服し、元気な自分を取り戻した瞬間です。
まさに、よっしゃぁ!の一語でしたね。
抑うつ症を治すことが出来たことで、完全に私のハラは決まりました。
コーチング・カウンセリング・心理学を勉強して、カウンセラーとしてやっていくぞ!と。
■自分の「本音」と向き合ったから、理想の生活へと動きだせた。
私は、自分の人生に「ウソ」をつくのを止めて、
自分の本当の気持ちを無視しない生活を始めてから
抑うつ症は治り、今では結婚もできて、本当にやりたかった仕事をする生活を手に出来ました。
もちろん、この本音と向き合うことには痛みも伴います。
ごまかしてきた自分自身と向き合って、イヤな思いをすることも何度もあります。
辛くて逃げたくなることもあります。
ですが、ここで逃げなかったから今があるってことは確実に言えます。
冗談抜きで、あのとき「自分の本音」と向き合う決断をしていなかったら、
会社の「底辺」ではいつくばりながら、自分を粗末に扱う生活からは抜け出せなかったと思います。
まず間違いなく、「抑うつ」も完治していなかったでしょうね。
それどころか、もっともっと重い症状になっていたかもしれません。
だから、私は「自分の本音」と向き合って、思った通りの道をゆく覚悟をしたいという方には、
トコトン、徹底的にお付き合いさせていただきたいと考えています。
あなたも、自分の「本音」に向き合って、生きたい人生を生きるきっかけを掴んでみませんか?